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●仏教vs.倫理
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末木 文美士 著
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人間は本来的に公共の倫理に収まらない何かを抱えている。仏教を手がかりに他者・死者などを根源から問い直し、混迷する現代の倫理を超える新たな可能性を示す。
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仏教vs.倫理
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シリーズ:ちくま新書
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814円(税込)
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著者について 末木 文美士スエキ フミヒコ
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1949年山梨県に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授を経て、現在、国際日本文化研究センター教授。仏教学専攻。著書に、『日本仏教史――思想史としてのアプローチ』(新潮社)、『日本仏教思想史論考』(大蔵出版)、『仏教――言葉の思想史』(岩波書店)、『鎌倉仏教形成論』(法g館)、『思想としての仏教入門』『鎌倉仏教展開論』(いずれもトランスビュー)『増補 日蓮入門』(ちくま学芸文庫)『現代仏教論』(新潮新書)などがある。
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この本の内容
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常識として通用してきた倫理では片がつかない事件が続発している。社会のルールをこうして逸脱するのは一部のおかしな人の問題ととらえられがちだ。だが人間は、本来的に公共の秩序に収まらない何かを抱えて生きる存在である。本書は、“人間”の世界をはみ出す「他者」、そしてその極限にある「死者」との関わりを、仏教の視座から根源的に問いなおす試みだ。混迷する現代の倫理を超える新たな地平を示すと同時に、日本仏教の思想的成果を丹念に抽出し鍛えなおす、渾身の一冊。
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この本の目次
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倫理ぎらい
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1 仏教を疑う(仏教も倫理も疑わしい
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仏教の倫理性欠如
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原始仏教の倫理性 ほか)
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2 “人間”から他者へ(倫理の根拠としての“人間”
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“人間”を逸脱する
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他者の発見と宗教 ほか)
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3 他者から死者へ(他者の極限としての死者
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死者と関わる
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死者が生者を支えている ほか)
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●科学と宗教と死
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著者: 加賀 乙彦
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医師として、作家として、そして信仰の徒として、「死」をめぐる思索の集大成
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昭和四年に生まれ幼い時から戦争の時代を生きてきた著者。第二次大戦後も死刑囚と接する拘置所の医務技官として、また作家として、常に人間の生と死に向き合ってきた。子どもの頃は怖ろしい存在であった死が、医務技官として接した死刑囚の信仰心によって劇的な変化を遂げたこと。キリスト教の信者になってさらに死への考えを深めたこと。七九歳で突然迎えた最愛の妻の死。そして八一歳の時に心臓が停止して死の淵をさまよったこと。医師・作家・そして信仰の徒としてのこれまでの人生と、その中で続けてきた死についての思索の軌跡を率直につづる。
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[著者情報]
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加賀 乙彦(かが おとひこ)
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一九二九年、東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。東京拘置所医務技官を務めた後、精神医学および犯罪学研究のためフランス留学。帰国後、東京医科歯科大学助教授、上智大学教授を歴任。日本芸術院会員。『小説家が読むドストエフスキー』『悪魔のささやき』『不幸な国の幸福論』(以上集英社新書)の他、『永遠の都』『宣告』(以上新潮文庫)、『死刑囚の記録』(中公新書)など著書多数。二〇一一年度文化功労者。
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